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「欲しい!」だけじゃ社会は回らない? フロイトの id・ego・superego を現実原則から読み解く

「欲しい!」だけじゃ社会は回らない? フロイトの id・ego・superego を現実原則から読み解く

心理学者フロイトが提唱した人格構造論には、有名な
id(エス)
ego(自我)
superego(超自我)
の三者が存在する。

ネットではしばしば
「id=本音」「ego=理性」「superego=良心」
と説明されるが、実はそれぞれが異なる原理で動いている。

id「今すぐ欲しい!」

id(エス)は欲望そのものである。

  • 腹が減った
  • 寝たい
  • 遊びたい
  • 異性と付き合いたい
  • 楽をしたい

とにかく快楽を求める。

フロイトはこれを
快楽原則(Pleasure Principle)
と呼んだ。

言ってしまえば、
「欲しいものは欲しい」
である。

ego「いや、それ今やるとヤバくない?」

ここで登場するのがego(自我)だ。

egoは現実世界を観察しながら、
欲望をどう実現するかを考える。

例えば、

  • 腹が減った
  • スーパーの商品をタダで持ち帰りたい

というidの要求に対して、
egoはこう答える。

捕まるぞ。
普通に買え。

これが
現実原則(Reality Principle)
である。

egoの関心は善悪ではない。

「実現可能か?」
「損しないか?」
「社会的に成立するか?」
を判断する。

superego「いや、それ以前に悪いことだろ」

さらにその上から口を出してくる存在がsuperego(超自我)である。

これは親や学校や社会から内面化された規範の集合体だ。

同じ万引きの例なら、

  • ego → 捕まるからやめろ
  • superego → 捕まらなくても悪いことだ

という違いになる。

つまり、
egoは現実、
superegoは道徳を見ている。

ネット民が理解しやすい例

SNSで炎上しそうな発言を思いついた場合、

  • id → 言いてぇ!
  • ego → 炎上して仕事失うぞ
  • superego → 人を傷つけるな

という三者会談が脳内で開催される。

人間の葛藤の大半は、
この三勢力の内戦である。

実はegoとsuperegoはしばしば対立する

興味深いことに、
egoとsuperegoは仲間とは限らない。

例えば、

  • 残業を断りたい
  • しかし家族との時間も欲しい

という場合、

  • ego → 体力的に無理だから断ろう
  • superego → 会社に尽くすべきでは?

となることもある。

真面目な人ほどsuperegoが強く、
罪悪感に苦しみやすいとも言われる。

仏教視点で見るとどうなる?

仏教的に見ると、

  • id → 渇愛(欲望)
  • ego → 分別・判断
  • superego → 戒律や社会規範

に近い部分がある。

しかし仏教はさらに一歩進み、

「欲望に執着する私」も、
「正しさに執着する私」も、
どちらも固定的実体ではない。

と考える。

つまり、
フロイトが目指したのは
健全なegoだが、
仏教が目指したのは
egoへの執着そのものの超克
とも言える。

まとめ

id        「欲しい!」
↓
ego       「現実的に可能か?」
↓
superego  「それは正しいか?」

現実原則はegoの担当であり、
superegoはその上から道徳的なチェックを行う存在である。

人間が悩み続ける理由とは、
この三者が常に会議を開いているからなのかもしれない。

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