もちろんこの説、かなり筋がいいですw
ただし「構造主義=幾何学」ではなく、より正確には**「構造主義的な発想は、幾何学、とりわけ公理化された近代幾何学とめちゃくちゃ相性がいい」**という話になります。
以下、ネタの勢いを残しつつガチ検証します。
【徹底検証】構造主義って幾何学じゃねwwww説
~「モノ」ではなく「位置関係」を見るなら、もうそれ幾何学では?問題~
■ オタクくん、突然とんでもないことに気づく
構造主義――。
言語、神話、親族、社会、文化などを、
個々のモノそのものではなく、それらが構成する「関係の体系」から理解しよう
とする思想である。
ところがオタクくん、ここでふと思う。
「……それって要するに、点そのものを見るんじゃなくて、点と点の位置関係を見る幾何学じゃね???」
これ、単なる暴論に見えて、実はかなり鋭い。
数学の構造主義では、数学的対象について対象そのものの「内在的な正体」より、構造の中で他の対象とどう関係しているかが重要になる。
Stanford Encyclopedia of Philosophyも、数学的構造主義を「個々の対象の性質ではなく、構造を特徴づける」という考えとして整理している。
つまり、
「モノではなく関係を見る」
という構造主義の基本姿勢と、
「点そのものより、点同士の配置・距離・接続・位置関係を見る」
という幾何学的発想には、確かに強烈な親和性があるのである。
■ そもそも「構造」って何なのか
ここが本丸である。
構造主義における「構造」は、ざっくり言えば、
要素と、それらの間に成立する関係のパターンである。
たとえばチェス盤を考えてみよう。
駒が木製なのかプラスチックなのか、赤いのか白いのか――。
それ自体は構造を考えるうえで本質ではない。
重要なのは、
- どのマスに駒があるのか
- どの駒がどの駒と対立しているのか
- どの駒がどこへ移動できるのか
- どの配置がどの配置と同型なのか
といった関係のネットワークである。
数学哲学における構造主義も、対象の「中身」より、その対象が構造内で占める位置を重視する。
たとえば自然数の「3」も、単独で謎の実体として存在するというより、
2の後継者、4の前者……という関係の中の位置として理解できる。
■ そして幾何学、実は「関係の学問」だった
ここで幾何学が参戦する。
例えば三角形を考える。
「この点は何という物質でできているのか?」
などとは普通考えない。
点は点として、線は線として、
他の点・線とどのような関係を持っているかが重要になる。
「ここからここまでの距離」
「この角度」
「平行」
「垂直」
「交差」
「同一直線上」
――全部「関係」である。
つまり幾何学とは、
対象を関係の体系として記述する学問
と見ることができる。
特にヒルベルトの公理化された幾何学は、この「構造を見る」という発想との親和性が非常に強い。
数学哲学の解説では、1899年の『幾何学の基礎』が、幾何学的概念を対象そのものの性質ではなく、それらが互いに持つ関係によって特徴づける方向の重要な到達点として説明されている。
■ ヒルベルト「点とは何か?」→「関係さえ満たせばいい」
ここが今回の説の最大の核心である。
近代的な公理的方法では、「点」「直線」「平面」について、
我々が日常的に想像するような具体的な中身を徹底的に説明する必要はない。
公理によって、
「点と直線はこういう関係を持つ」
という構造を規定すればよい。
その意味では、
点そのものが何者なのか?
↓
どうでもいい。他の点・直線との関係が公理を満たしているか?
↓
こっちが重要。
となる。
これはまさに構造主義的発想そのものである。
■ 「点」が人間でも愛でも煙突掃除人でも成立するというヤバさ
さらにヒルベルト的な公理的方法の面白いところは、
関係構造さえ保存されれば、何を「点」と呼んでも数学的関係を記述できる
ということ。
数学哲学の解説でも、幾何学の基本要素を別の対象に置き換えても、公理が成立するなら同じ構造について語っている、というヒルベルト的発想が紹介されている。
つまり、
点 ─── 点 ─── 点 │ │ │ │ 点 ─── 点
という関係だけ保存されていれば、
- 点=数学的な点
- 点=都市
- 点=人間
- 点=神話上の人物
- 点=文化的カテゴリー
などに置き換えても、「構造」という観点では同じ形式を考えられる。
これこそ構造主義が人文科学へ進出したときの強烈な発想と重なる。
■ ではソシュールは「言語を幾何学にした男」なのか?
ここから言語学である。
ソシュールの構造言語学では、ある言語単位を、それ単独の実体として理解するのではなく、
他の単位との対立・関係の中で理解する。
例えば「犬」という語の意味は、
「犬」という物理的音声だけを調べれば出てくるわけではない。
「猫ではない」
「狼ではない」
「動物である」
「ペットとして扱われる」
「他の語と組み合わせられる」
――など、言語体系内部の関係によって位置づけられる。
Routledgeの解説でも、ソシュール系の構造言語学では、言語の音・語・意味などを、他の項との関係を記述することで捉えることが中心だと説明されている。
これはかなり「幾何学化された言語観」に見える。
もちろんソシュール自身が「言語学=幾何学」と言ったわけではない。
ここは重要である。
■ 構造主義者「Aそのものを見るな、AとBの関係を見ろ」
構造主義の発想を超ざっくり図式化すると、
【素朴な見方】 Aを見る Bを見る Cを見る 【構造主義】 A ───── B │ │ │ │ C ───── D ↑ 個々の中身より 関係のパターンを見る
これは数学的構造主義でもほぼ同じ方向を向いている。
数学的構造主義では、対象について本質的なのは構造内部の関係であり、個々の対象の「内側」にある固有の性質を抽象化してしまう。
つまり、
「何でできているか」より「どこにいて、何とどうつながっているか」
を見る。
オタクくん、
「これもう幾何学じゃん」
と言いたくなる。
■ しかし重大な反論:「幾何学」だけではない
ここで冷静になろう。
構造主義を「幾何学」と完全に同一視するのは無理がある。
なぜなら「構造」は空間的な配置に限られないからである。
例えば、
- 自然数の後継関係
- 群の演算関係
- 論理体系
- グラフの接続関係
- 言語の意味関係
- 親族関係
- 神話の二項対立
なども「構造」として扱える。
Stanford Encyclopedia of Philosophyも、数学における構造主義は幾何学だけではなく、自然数構造、実数構造、代数的構造など広範な構造を対象にする立場だと説明している。
したがって、
構造主義=幾何学
ではなく、
構造主義=「関係によって対象を捉える」発想
幾何学=その発想を空間・位置関係について強烈に展開する一例
としたほうが正確である。
■ そして「トポロジー」が出てきて完全に怪しくなる
さらに面白いのがトポロジーである。
幾何学の中でも、トポロジーは長さや角度そのものより、
「つながっているか」「穴がいくつあるか」などの関係的・構造的性質
を重視する。
ここまで来ると、
「形そのものではなく、形の構造を見る」
という構造主義との親和性がさらに上がる。
しかも数学における構造主義では、代数的構造・位相的構造・順序構造などを横断して「構造」そのものを考える方向が発達している。
つまり「構造」という概念は、単なる図形から離れて、
関係の形式そのもの
へと抽象化されていく。
■ レヴィ=ストロースまで行くと「人間社会を図形として読む」感が出てくる
人類学の構造主義でも、個々の神話や習俗を単独で見るのではなく、
要素同士の対立・変換・配置
を見る。
例えば、
生 ───── 死 │ │ 自然 ─── 文化 │ │ 男 ───── 女
のように、文化的要素を「関係のネットワーク」として捉えるイメージである。
もちろん実際の構造主義人類学はこんな単純な図ではない。
しかし、「個々の要素」より「要素間の関係」を分析対象にするという方向性は、数学的構造主義との類似を感じさせる。
Routledgeも、構造主義を社会・文化現象に適用し、個々の現象ではなく、その背後にある関係体系や構造を分析するアプローチとして説明している。
■ 【重要】ただし「構造主義=数学の構造主義」ではない
ここは記事として絶対に押さえておきたい。
「構造主義」という名前が共通していても、
数学の哲学としての構造主義と、ソシュール以降の人文・社会科学の構造主義は同一思想ではない。
前者は数学的対象や数学理論を「構造」という観点から捉える哲学。
後者は言語学から発展し、社会・文化・神話などを関係体系として分析する方法論・思想的潮流である。
したがって「全部同じもの」とするのは歴史的には雑。
しかし、
「個体の本質より、関係・位置・構造を重視する」
という家族的類似は非常に強い。
■ 結論:「構造主義って幾何学じゃね?」は半分正解、半分暴論www
判定するとこうなる。
| 命題 | 判定 | 理由 |
|---|---|---|
| 構造主義=幾何学 | × | 構造は空間的配置に限られない |
| 構造主義と幾何学は発想が似ている | ◎ | 対象そのものより関係・配置を重視する |
| ヒルベルト幾何学は構造主義的 | かなり○ | 公理によって対象間の関係を規定する |
| ソシュールの言語学は「関係の体系」を見る | ○ | 記号を他の記号との差異・関係から捉える |
| 構造主義を「関係の幾何学」と呼ぶ | 比喩として◎ | かなり本質を突いた比喩 |
したがって今回のオタクくん説を一段階アップデートすると、
「構造主義とは、世界を“モノの集合”ではなく“関係の配置”として読む思想であり、その直感は幾何学、とりわけ公理化された近代幾何学と驚くほど相性がいい」
となる。
そして最終的に一番ヤバいのは、
「点とは何者なのか?」ではなく
「その点は他の点とどういう関係にあるのか?」
と問い始めた瞬間である。
これ、数学では幾何学・構造論へ向かい、
言語ではソシュールへ向かい、
人類学ではレヴィ=ストロースへ向かい、
さらに抽象化すれば数学的構造主義やカテゴリー論的な発想へも接続していく。
「世界はモノでできている」のではなく、「関係の網目として記述できる」――。
そう考え始めると、構造主義が突然、
「人文系がやってる幾何学っぽい何か」
に見えてくる。
オタクくん、
「構造主義って幾何学じゃねwww」
は雑すぎるが、入口としてはかなり優秀な着眼点だった模様。