橋下徹「バチーンと寝てろ」vs「平熱パニック受診」問題――他人に厳しく自分に甘いは人間の本質なのか
ネット上でたびたび蒸し返される話題の一つが、
政治評論家の
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を巡る
「バチーンと寝てろ」発言と、
後年のコロナ感染疑惑時の受診騒動である。
この件を巡っては、
「他人には厳しいのに自分には甘い」
という批判が繰り返されてきた。
しかし対自的(自分の立場)に考えると、
むしろ極めて人間らしい行動だったのではないか、
という見方も成立する。
バチーンと寝てろ理論
当時の文脈では、
軽症者や不安だけで医療機関に殺到することへの警鐘として、
強い言葉で
「バチーンと寝てろ」
という趣旨の発言が行われた。
これは社会全体を見た場合には合理的である。
医療資源には限界があり、
全員が不安で受診すれば医療崩壊が起きる。
つまり視点は
社会最適
である。
ところが自分が当事者になると…
一方で、
いざ自分自身に症状が現れたかもしれないとなると、
人間は急激に思考モードが変わる。
- もしかして重症化するかもしれない
- 万が一があるかもしれない
- 念のため診てもらいたい
- 自分だけは例外かもしれない
社会全体ではなく、
今度は
自分最適
が優先される。
平熱であろうが何だろうが、
本人からすると
「俺がヤバかったらどうする」
になるのである。
実はみんなやっている
ここが重要なポイントだ。
ネットでは
「ダブルスタンダードだ!」
と批判されるが、
冷静に考えるとほとんどの人間が同じことをしている。
自分以外の渋滞は邪魔だが、
自分の車は必要な移動。
他人の残業は非効率だが、
自分の残業は仕方ない。
他人の課金は無駄遣いだが、
自分の課金は投資。
人間は基本的に
「一般論の自分」
と
「当事者の自分」
を使い分けている。
経済学的には合理的ですらある
経済学では、
人は自分の利益を最大化する存在として扱われる。
社会全体の利益と、
自分自身の利益が衝突した場合、
多くの人は自分側へ寄る。
橋下氏のケースも、
批判されるかどうかは別として、
行動原理としては極めて一般的なものだったとも解釈できる。
むしろ人間の本質が露呈した事件だった
この騒動が面白いのは、
橋下徹個人の問題というより、
誰もが持っている
「社会最適」と「自己最適」の矛盾が
可視化された点にある。
普段は
「落ち着け」
と言う人も、
いざ自分の身体に異変が起きると
「念のため病院へ」
になる。
つまり、
他人に厳しく自分に甘い
↓
自分の立場になると判断基準が変わる
↓
人間は基本的にそういう生き物
という構図である。
結論
橋下徹氏の
「バチーンと寝てろ」
と
「平熱パニック受診」
のギャップは、
ダブルスタンダードの象徴として語られがちである。
しかし対自的に見るなら、
それは特別な欠陥ではなく、
多くの人間が持つ
社会最適と自己最適の切り替え
が表面化した事例とも言える。
結局のところ、
この騒動が暴いたのは橋下氏の本質というより、
「人間は当事者になると弱い」
という普遍的な人間の本質だったのかもしれない。