マルクスは資本家を高評価していた? 「命がけの跳躍」から読み解く意外な資本家観
「マルクスといえば資本家の敵」。
多くの人がそう考えるだろう。しかし実際の
資本論
や
共産党宣言
を読むと、意外な事実が見えてくる。
それは、
マルクスは資本家を単純な悪役として描いていなかった
ということである。
命がけの跳躍(Salto Mortale)とは何か
マルクスは商品の販売過程を
「命がけの跳躍(Salto Mortale)」
と呼んだ。
商品は作っただけでは価値を持たない。
市場で売れて初めて価値が実現する。
- 工場を建てる
- 原材料を仕入れる
- 労働者を雇う
- 商品を作る
- 市場に出す
しかし最後の最後で売れなければ全てが無意味になる。
つまり資本家は、
将来の需要を予測しながら資金を先行投入する巨大な賭け
を行っているのである。
この意味で資本主義経済は毎日が命がけの跳躍なのだ。
資本家はただの搾取者ではない
ネット上ではしばしば、
資本家=労働者から搾取する悪人
という図式で語られる。
しかしマルクス自身はもっと冷静だった。
彼は資本家を、
- リスクを引き受ける存在
- 生産を組織する存在
- 未来需要を予測する存在
- 社会の生産力を拡大する存在
として分析している。
もちろん搾取構造への批判はある。
しかしそれと同時に、
資本家が果たす歴史的機能も認めていたのである。
共産党宣言のブルジョア礼賛
実はマルクスは『共産党宣言』でブルジョアジーをかなり高く評価している。
封建社会を打ち破り、
近代工業を発展させ、
科学技術を促進し、
世界市場を形成した。
人類史上かつてない規模で生産力を発展させたのが資本主義だった。
マルクスはこれを否定していない。
むしろその歴史的功績を積極的に認めている。
ヘーゲル的に見ると資本家も奴隷
さらに興味深いのは、
マルクスが資本家を完全な勝者として見ていない点である。
競争社会では、
資本家自身も市場に支配される。
- 投資しなければ負ける
- 利益を追求しなければ脱落する
- 技術革新しなければ倒産する
つまり資本家は自由なようでいて、
資本増殖という命令に従わされている。
ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法になぞらえれば、
市場に命を賭ける主人であると同時に、
市場法則の奴隷でもある
という奇妙な存在になる。
実は資本家も「皆苦」なのか?
仏教的に解釈するとさらに面白い。
労働者は生活のために働く。
資本家は競争のために投資する。
どちらもシステムから完全には自由ではない。
その意味では、
労働者も苦しみ、
資本家も苦しむ。
マルクスの描く世界は、
意外にも仏教の「皆苦」に近い側面を持っている。
まとめ
結論として、
マルクスは資本家を単純な悪人とは見ていなかった。
- 生産力を発展させた歴史的功績を認めている
- 命がけの跳躍を行う主体として評価している
- 社会的生産を組織する役割を認めている
- 同時に資本システムの奴隷でもあると考えている
つまりマルクスの資本家観は、
「善か悪か」ではなく、
歴史を動かす巨大な矛盾の担い手
という極めてヘーゲル的な理解だったのである。
ネットで流布する「マルクス=資本家憎し」という単純なイメージより、
本人の思想は遥かに複雑で奥深いものだったと言えるだろう。