もちろんです。今回の核心はかなり面白く、**「命題=まだ証明されていない主張」ではなく、「真偽を持ちうる主張」**なので、箴言・ことわざ・ミーム構文との接続を整理すると、かなり綺麗に数理化できます。
特に「未証明だから命題」という部分は半分正しく半分違う、というオチが重要です。
【徹底検証】命題って真偽証明されてない箴言・ことわざ・ミーム構文じゃね?説
「命題って要するに、まだ真偽が確定していない箴言・ことわざ・ミーム構文なのでは?」
この一見すると暴論、実はかなり論理学の核心に接近している。
ただし、チャッピー先生から最初に一発だけ訂正を入れよう。
命題 ≠ 未証明の命題
命題とは基本的に、真または偽という真理値を持つものを指す。
つまり「証明されているかどうか」は、命題であるための必須条件ではない。
実際、論理学では「真偽がまだ知られていない」命題も普通に存在する。たとえば数学上の予想は、証明される前から命題として扱える。
では、ことわざ・箴言・ミーム構文はどうなのか。
ここからが本題である。
第1章 そもそも「命題」とは何なのか
古典的な論理学では、命題はざっくり言えば真か偽かを判定できる内容である。
例えば、
P:「2+2=4」
これは明らかに真。
Q:「2+2=5」
これは明らかに偽。
しかし重要なのは、
「偽だから命題ではない」のではない。
むしろ偽でも命題なのである。
命題論理では、命題が真か偽かという真理値を持つことがポイントになる。
第2章 ここで「未証明」という概念を投入すると……
ここでオタクくんが閃く。
「じゃあ命題って、まだ証明されてない文章のことでは?」
惜しい。
証明可能性と真理値は別物だからである。
例えば、ある数学的主張Pについて、
P=「ある条件を満たすすべての対象について性質Xが成立する」
とする。
このPについて、
- 真である
- 偽である
- 真偽はまだ人間には分からない
という認識上の状態があり得る。
しかし「真偽がまだ分からない」ことと「命題ではない」ことは別問題である。
実際、ゴールドバッハ予想のように、真偽が確定していない数学的主張も命題として扱える。
したがって、より正確な式はこうだ。
命題 = 真偽を持ちうる主張
予想 = 真偽を持つが、まだ証明等によって確定していない主張
第3章 では「ことわざ」は命題なのか?
ここでいよいよ今回の説。
例えば、
「石の上にも三年」
これをそのまま論理学的命題にしようとすると、意外と難しい。
なぜなら、これは数学の
∀x P(x)
のように明確な対象・条件・述語を指定しているわけではないからだ。
「三年我慢すれば必ず成功する」という意味なら、
「ある状況では、長期間耐えれば成功する」
などに形式化できるが、「必ず」という意味なのか、「一般にそういう傾向がある」という意味なのかで全く違ってくる。
つまり、ことわざはしばしば真偽判定以前に意味の形式化が必要なのである。
第4章 「犬も歩けば棒に当たる」を数理化してみる
例えば、
「犬も歩けば棒に当たる」
これを雑に数理化すると、
歩く ↓ 何らかの予期せぬ出来事に遭遇する
という因果・確率的主張に見える。
すると、
P(遭遇 | 歩く) > P(遭遇 | 歩かない)
のような仮説に変換できる。
こうなると突然、ことわざが経験的仮説になる。
つまり、
ことわざ → 自然言語による圧縮された仮説 → 形式化 → 検証可能な命題
という変換が可能になる。
ここが今回の説のかなり強い部分である。
第5章 箴言はさらに「命題っぽい」
例えば、
「失敗は成功のもと」
これもそのままでは曖昧だ。
しかし、
失敗経験を得た人 ↓ 失敗原因を学習する ↓ 次回の成功確率が上昇する
という意味に限定すれば、
P(成功 | 失敗から学習した経験あり) > P(成功 | 失敗から学習した経験なし)
という経験的命題へ変換できる。
すると「箴言」と「命題」の距離が一気に縮まる。
第6章 そして現代版ことわざ=ミーム構文
ここで現代ネット社会に接続する。
例えば、
「〇〇は△△」
「〇〇する奴、全員△△説」
「つまり〇〇=△△」
「A、B、C……全部同じでは?」
「Q.E.D. 証明終了」
こうしたミーム構文は、一見すると論理学の命題そのものに見える。
なぜなら、
P:「〇〇は△△である」
という形に容易に変換できるからだ。
ところが実際には、ここで「証明終了!」と叫んでいるだけで証明が終わっているとは限らない。
第7章 「Q.E.D.」を付ければ命題は証明されるのか?
されない。
当然である。
例えば、
P:「猫は液体である」 Q.E.D.
と書いたところで、数学的証明にはならない。
ミームとしては成立しても、論理学的には証明手続きが存在しない。
ここに「ミーム構文」の面白さがある。
「証明したっぽい形式」を先に提示することで、受け手に証明されたような印象を与える。
つまり、
命題 ↓ 論証 ↓ 結論 ↓ Q.E.D.
という本来の数学的構造を、
主張 ↓ それっぽい理由 ↓ Q.E.D.
に圧縮しているわけだ。
第8章 「命題」「予想」「箴言」「ミーム」の関係
| 概念 | 主な特徴 | 真偽判定 |
|---|---|---|
| 命題 | 真偽を持つ主張 | 可能 |
| 定理 | 証明された数学的主張 | 証明済み |
| 予想 | 真偽を持つが未証明の主張 | 未確定の場合あり |
| 箴言 | 経験則・教訓を圧縮した表現 | そのままでは曖昧なことが多い |
| ことわざ | 社会的に共有された定型的表現 | 文字通りの真偽判定が難しい場合あり |
| ミーム構文 | ネット上で反復される主張・形式 | 命題化できる場合とできない場合がある |
第9章 今回の説を数式化すると……
ここでオタクくん的に全部まとめよう。
まず、
命題 = 真偽を持つ主張
とする。
一方、箴言・ことわざ・ミームには、
自然言語による圧縮 + 文脈依存 + 比喩 + 経験則
が含まれている。
そこで、
自然言語表現
↓
意味の形式化
↓
検証可能な主張
↓
命題
↓
証明・反証・実証
↓
真/偽
という変換が考えられる。
つまり今回の説は、厳密には
「箴言・ことわざ・ミーム構文は、適切に形式化すれば命題になり得る」
と修正すると、かなり強力になる。
第10章 最大のポイント:「証明されていない」と「真ではない」は違う
ここは数学・論理学的に最重要ポイント。
例えば、
P = 「命題Pは真である」
について、我々がまだ証明できないからといって、
未証明 = 偽
とはならない。
同様に、
「証明できていない」 ≠ 「真偽がない」
である。
むしろ「証明できていないが命題である」という領域こそ、数学における予想の居場所になる。
最終判定
「命題って真偽証明されてない箴言・ことわざ・ミーム構文じゃね?」
これをそのまま数学用語として採用するなら惜しい。
しかし、概念モデルとしては非常に面白い。
より正確には、
箴言・ことわざ・ミーム構文とは、自然言語によって圧縮された「主張候補」であり、それを形式化すると命題になり得る。
そして、
主張 ↓ 形式化 ↓ 命題 ↓ 証明/反証/実証 ↓ 定理・反証・未解決問題
という流れになる。
したがって――
「Q.E.D.」は証明の魔法ではない。
ミームは命題のプロトタイプになり得る。
そしてことわざとは、古代から存在する“圧縮された仮説データベース”なのかもしれない。
……というところまで言うと、
「昔の人、経験則をミーム形式で保存してた説」
まで派生可能である。
オタクくん、ついに「ことわざ=自然言語版ベイズ事前分布」という次なる沼を発見してしまったのであった。
Q.E.D.(※ただし本記事の結論そのものはQ.E.D.されていない)
参考
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Propositions” — 命題を真偽の担い手として扱う哲学的整理。
- University of Western Ontario, “Propositional Logic” — 命題を真偽値を持つ宣言文として説明。
- ANU Logic Notes — statement / proposition / truth value の区別。