パクリ(リスペクト)が原作を食った!?――『ダンガンロンパ』『Whiteberry』『DA PUMP』に見る「元ネタ越え」現象を徹底検証
「それ、元ネタあるよね?」
創作界隈で、この一言は時として強烈な破壊力を持つ。
しかし世の中には、元ネタを知らない人のほうが圧倒的に多くなり、ついには「パクった側」「カバーした側」が原作以上に有名になってしまうという恐るべき現象が存在する。
今回はその代表例として、
- 『ダンガンロンパ』の「超高校級」
- Whiteberryの「夏祭り」
- DA PUMPの「U.S.A.」
の3例を徹底検証する。
なお、本稿では法的な意味での「盗作」と、創作上のパロディ・オマージュ・引用・カバーを区別する。したがってタイトルの「パクリ」は、あくまでネット的な意味での「元ネタを借りた」という広義の表現である。
結論:本当に「原作を食った」のはこの3つだ!
| 事例 | 元ネタ・原曲 | 後発側 | 元ネタ越え度 |
|---|---|---|---|
| ① 超高校級 | ダンガンロンパ以前から存在した「超高校級」という表現 | ダンガンロンパ | ★★★★★ |
| ② 夏祭り | JITTERIN’JINN「夏祭り」 | Whiteberry「夏祭り」 | ★★★★★ |
| ③ U.S.A. | Joe Yellow「U.S.A.」 | DA PUMP「U.S.A.」 | ★★★★★ |
特に②と③は「原曲を知っている人のほうが少ない」という意味で、かなり極端な「原作を食った」事例である。
① ダンガンロンパ「超高校級」――むしろ言葉そのものを乗っ取った事件
「超高校級」はダンガンロンパが発明した言葉なのか?
まずここが重要だ。
結論から言えば、「超高校級」という語そのものはダンガンロンパ以前から存在していた。
特にスポーツ分野では、非常に優秀な高校生アスリートなどを表現する言葉として以前から使用例が存在していたとされる。ところが『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』が2010年に登場すると、この言葉が一気に「ダンガンロンパっぽい言葉」になった。
これはかなり面白い現象である。
普通なら、
元々ある言葉 → 作品が使用
で終わる。
ところがダンガンロンパの場合、
元々ある言葉
↓
ダンガンロンパが大量投入
↓
「超高校級の○○」というフォーマットが作品の代名詞になる
↓
後世の人が「超高校級=ダンガンロンパ」と認識
という意味の上書きが発生した。
「超高校級の○○」というテンプレートが強すぎた
『ダンガンロンパ』では、単に「才能がある高校生」ではない。
「超高校級の野球選手」
「超高校級のアイドル」
「超高校級の探偵」
「超高校級のギャル」
……というように、キャラクターの属性を「超高校級の○○」という一種のブランド名にしてしまった。
公式資料でも「超高校級の才能」という表現がシリーズの基本設定として使われている。
結果として、「超高校級」という一般的な修辞表現だったものが、現在ではダンガンロンパを連想させる強烈な記号になった。
これは「パクリが原作を食った」というより、正確には「既存語の意味を作品が食った」事例なのである。
判定:★★★★★
原作越えというより「元ネタの一般名詞を作品ブランド化した」タイプ。
このタイプは非常に強い。
なぜなら作品を知らない人間まで、「超高校級」という言葉を見た瞬間にダンガンロンパを連想する可能性があるからだ。
② Whiteberry「夏祭り」――原曲を知らない世代を大量生産した伝説
「夏祭り」はWhiteberryの曲ではない
これはあまりにも有名な元ネタ越え案件である。
Whiteberryの「夏祭り」は、実はJITTERIN’JINNが1990年に発表した楽曲のカバー。
作詞・作曲は破矢ジンタ。Whiteberry版は2000年に発売された。
つまり、
1990年 JITTERIN’JINN「夏祭り」
↓
2000年 Whiteberry「夏祭り」
↓
Whiteberry版が大ヒット
という構造である。
そして売れ方がヤバい
Whiteberry版はオリコン最高3位を記録し、約60万~65万枚規模の大ヒットとなったとされる。さらにTBSドラマ「ふしぎな話」の主題歌にも起用され、Whiteberry最大のヒット曲となった。
つまり、原曲をカバーしただけなのに、
「夏祭り=Whiteberry」
というイメージが社会に定着してしまった。
これは「カバーが原曲を食った」の教科書
さらに面白いのが、Whiteberry版は単なるコピーではないことだ。
テンポやサウンド、楽器編成、アレンジなどを現代的なポップロックとして再構築している。吹奏楽向けの解説でもWhiteberry版は原曲よりテンポを速め、軽快感を出していると説明されている。
つまり、
原曲のメロディー・歌詞
+
Whiteberryの年齢・声・アレンジ・時代性
=
「2000年の夏ソング」として再生
なのである。
最大の証拠は「原曲のほうを後から知る人」が続出したこと
現在でも「夏祭り」を聴いて、
「えっ、これWhiteberryのオリジナルじゃないの?」
となる人が少なくない。
原曲を知らない世代にとってはWhiteberry版こそが「原体験」になってしまったからだ。
ここまで来ると、もはや「カバー」という言葉だけでは説明しきれない。
原曲を借りた作品が、原曲の社会的な記憶そのものを上書きしてしまった。
判定:★★★★★
「カバーが原曲を食った」案件としては文句なしのS級。
③ DA PUMP「U.S.A.」――知らないうちに原曲を日本の国民的ネタ曲へ魔改造
「U.S.A.」もオリジナルではない
そして現代版の究極例がこれ。
DA PUMP「U.S.A.」。
実は1992年のイタリアのユーロビート曲「U.S.A.」を日本語化・現代的にアレンジしたカバーである。ORICON NEWSも明確に「1992年のイタリアで発売されたユーロビート曲に日本語歌詞をつけ、EDMのアレンジを加えたカバーソング」と説明している。
つまり、
Joe Yellow「U.S.A.」
↓
DA PUMP「U.S.A.」
↓
「カモンベイビーアメリカ!」
↓
日本全国で大流行
である。
もはや原曲には存在しない「日本人の記憶」を作った
ここがWhiteberryとの共通点であり、最大のポイント。
DA PUMP版は原曲をそのまま日本語で歌ったわけではない。
日本語歌詞、EDM的なアレンジ、ダンス、MV、そして「ダサかっこいい」という新しい文脈を大量投入した。
結果として、原曲の「U.S.A.」よりも、
「U.S.A.=カモンベイビーアメリカ」
という日本独自のイメージが圧倒的に強くなった。
そしてチャートでも大暴れ
DA PUMP版はオリコン週間シングル最高7位、58週ランクインというロングヒットを記録。デジタルシングルでも複数回1位を獲得し、累積ダウンロードは22万件を突破した。
しかも単純な「懐メロ復活」ではない。
SNSでダンスが模倣され、「ダサかっこいい」という評価そのものが楽曲の魅力として拡散した。
つまり原曲を「日本のSNS時代に最適化」したのである。
判定:★★★★★
「原曲を現代化したら原曲より有名になった」タイプの最高傑作。
3作品に共通する「元ネタ越えの法則」
ここまで見ると、偶然とは思えない共通点がある。
法則①「元ネタをそのまま再現しない」
3例とも、単純コピーではない。
- ダンガンロンパ → 「超高校級」を大量のキャラクター設定へ転換
- Whiteberry → 「夏祭り」を2000年代J-POPへ再構築
- DA PUMP → 1990年代ユーロビートを2018年のSNSダンス文化へ再構築
つまり「借りる→変える→自分の文脈にする」という工程がある。
法則②「後発側のほうが入口として強い」
これも重要だ。
原曲は、言ってしまえば「過去の作品」である。
ところが後発側は、
- その時代の音質
- その時代のスター
- テレビ
- SNS
- ゲーム
- ダンス
などを利用できる。
したがって「元ネタを知らない新規客」を大量に獲得できる。
法則③「元ネタを知らなくても成立する」
これが最強。
「原曲を知らないと楽しめない」作品は、元ネタの人気に依存する。
しかし、
「元ネタを知らなくても普通に面白い」
作品は違う。
その作品単体で巨大なファン層を獲得した後に、
「実はこれ元ネタがあって……」
と発覚する。
すると元ネタまで掘られる。
これは文化の逆流である。
では「パクリ」は悪なのか?
ここで重要なのが、「似ている=盗作」ではないということだ。
特にWhiteberryとDA PUMPは、明確にカバー作品として扱われている。
また『ダンガンロンパ』についても、「超高校級」という語自体が以前から存在したからといって、ダンガンロンパそのものを盗作扱いすることはできない。
むしろ重要なのは、
元ネタを知っている人には「それね!」と分かる。
知らない人には「これ面白い!」として成立する。
この二重構造である。
これが完成すると、パクリは「コピー」ではなく文化的なリミックスになる。
最終ランキング
| 順位 | 作品 | 食ったもの | 評価 |
|---|---|---|---|
| 🥇 1位 | Whiteberry「夏祭り」 | JITTERIN’JINN版 | 原曲より「原曲っぽく」認識される異常事態 |
| 🥈 2位 | DA PUMP「U.S.A.」 | Joe Yellow版 | 原曲を日本のネット文化へ魔改造 |
| 🥉 3位 | ダンガンロンパ「超高校級」 | 既存の「超高校級」という表現 | 一般語を作品固有のブランドへ変換 |
総評――「パクった側」が勝つとき、文化は進化する
今回の3例から見えてくるのは、単純な「パクリが悪い/オマージュは偉い」という話ではない。
本当に強い後発作品は、元ネタを「食べて消化する」。
そして消化したものを、自分の時代の人間が楽しめる形に変換する。
だから、
JITTERIN’JINNの「夏祭り」を知らない人でもWhiteberry版を歌える。
Joe Yellowを知らない人でもDA PUMPの「U.S.A.」なら踊れる。
ダンガンロンパ以前の「超高校級」という言葉を知らない人でも、「超高校級」と聞けばダンガンロンパを連想する。
ここまで来ると、元ネタを「パクった」というより、
「元ネタを文化的に再発明した」
と表現したほうが実態に近い。
結局、最強のリスペクトとは、
「元ネタを知っている人にはニヤリとさせ、元ネタを知らない人には新しい原典として記憶させること」
なのかもしれない。
――そして後世のオタクが「えっ、これ元ネタあったの!?」と発見するまでがセット。
これぞ文化の「食物連鎖」である。