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それなりの人生からの完全な破滅の衝撃事件とその背景ともいえる人物の不審死の深い闇

“人生逆転”に呑まれた男――無職・後藤祐介容疑者事件と、令和資本主義の歪み

近年の凄惨事件の中でも、
ネットに特有の“嫌なリアリティ”を感じさせたのが、
東京都品川区で発生した、
無職・後藤祐介容疑者による母子4人死亡事件だった。

後藤容疑者は2024年、
元妻と子ども3人を殺害した疑いで逮捕された。事件当時46歳。
離婚成立直後だったとされる。

事件そのものの残虐性だけでなく、
多くのネットユーザーが異様な既視感を覚えたのは、
後藤容疑者の人生経路が、
令和日本に増殖した「人生逆転コンテンツ」の敗北例に見えたからである。


しかし後藤祐介容疑者は“完全な敗北者”だったのか

ここで重要なのは、
後藤容疑者が、
ネットで揶揄されるような“完全孤独の弱者男性”とは少し違っていた点である。

少なくとも彼には、

  • 結婚経験
  • 家庭
  • 子ども3人
  • 父親という役割

が存在していた。

これは現代日本では、
決して当たり前ではない。

特に令和の都市部では、
未婚化、
少子化、
孤独化が急速に進行している。

ネット空間では、
結婚できない男性、
家庭を持てない男性が大量に可視化され、
“家族を持つ”こと自体が難易度の高い人生イベントになっている。

つまり後藤容疑者は、
少なくとも一時期までは、
社会のレールにある程度乗れていた人間だった。

だからこそ逆に、
崩壊のインパクトが大きかった。

ゼロから失敗した人間ではなく、

「一度は普通の人生を掴んだ人間が壊れた」

という点が、
ネット民に強烈な不安を与えたのである。


“普通の幸福”が資本主義に敗北する時代

本来なら、

  • 働く
  • 結婚する
  • 子どもを育てる
  • 慎ましく暮らす

という人生は、
社会的成功として扱われるはずだった。

だが令和のSNS資本主義では、
それだけでは足りない。

スマホを開けば、

  • 20代起業家
  • 港区タワマン
  • 高級車
  • FIRE生活
  • 「月収7桁」

がアルゴリズムによって延々と流れてくる。

つまり現代は、
“普通に生きているだけの人間”が、
常に比較地獄へ晒される社会なのである。

後藤容疑者もまた、
低収入や家庭不和そのものだけでなく、

「自分はもっと上へ行けたはずだ」

という感覚に侵食されていた可能性がある。


情報商材と“人生逆転幻想”

そしてネットを騒がせたのが、
後藤容疑者が“案件獲得スクール”系コミュニティに接触していたという話だった。

ここで重要なのは、
情報商材そのものより、
そこに流れる思想である。

  • 「雇われは負け」
  • 「会社員は搾取」
  • 「個人で稼げ」
  • 「動画編集で人生逆転」
  • 「自由を掴め」

これらは単なる副業論ではない。

ある種の、
新自由主義的成功宗教である。

つまり、

「現状に満足するな」

と常に煽り続けるシステムなのだ。

昔の資本主義は、
家と家族を持てば“上がり”だった。

しかし現代資本主義は違う。

結婚しても、
子どもがいても、
家族がいても、

「もっと稼げ」
「もっと自由になれ」
「もっと成功しろ」

と終わりなく欲望を刺激し続ける。


令和の虎と“成功演出社会”

そしてその象徴が、
「令和の虎」のような起業家コンテンツだった。

若者が夢を語り、
成功者が査定し、
投資家が人生を値踏みする。

そこでは、
普通の会社員人生は、
しばしば“敗北”のように扱われる。

しかも令和型成功者は、
昔の成金とは違い、

  • 高学歴
  • 清潔感
  • SNS運用力
  • スマートな話術
  • 自己啓発的価値観

を持っている。

つまり、
極めて“正しそうに見える”。

だからこそ、
普通の生活を送る人間ほど、

「自分はこのままでいいのか」

という不安に飲み込まれていく。


後藤祐介容疑者事件が不気味な理由

この事件の本当の不気味さは、
単なる貧困犯罪ではない点にある。

後藤容疑者は、
最底辺から孤独に暴発したわけではない。

むしろ、

  • 結婚
  • 家庭
  • 父親役割
  • 社会参加

を一度は持ちながら、
そこから崩壊していった。

つまりこれは、

「普通の幸福ですら維持困難になった資本主義社会」

の恐怖なのである。

SNS時代の資本主義は、
人間を飢えさせるだけではない。

すでに持っている幸福にすら、

「それでは足りない」

と思わせる。

そしてその終わりなき比較競争が、
人間の精神を静かに破壊していく。

後藤祐介容疑者事件が今もネットで語られるのは、
単なる猟奇事件だからではない。

多くの人間がそこに、

「自分も狂う側に行くかもしれない」

という、
令和社会への不安を見てしまうからなのである。

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