「スラダンは高校生、テニプリは中学生」問題を真面目に考える
スポーツ漫画を読んでいると、時々ふと冷静になる瞬間がある。
『SLAM DUNK』の桜木花道。
『アイシールド21』の小早川瀬那。
『ドカベン』の山田太郎。
彼らは高校生である。
まあ分かる。
全国には怪物級の高校生もいるし、スポーツ漫画として自然だ。
しかし一方、『テニスの王子様』を見ると世界観が急変する。
「えっ、こいつら中学生なの?」
そう、あの作品だけ年齢設定が完全にバグっているのである。
テニプリ世界の中学生、もはや能力者
『テニスの王子様』の中学生たちは、もはや普通のスポーツ選手ではない。
- ボールが分身する
- 打球で壁が壊れる
- 相手の五感を奪う
- ブラックホールを発生させる
- オーラが見える
- 恐竜が現れる
- 光速みたいな移動をする
途中から「テニス漫画」ではなく「能力バトル漫画」になっている。
しかも恐ろしいのは、これをやっているのが14〜15歳という点だ。
普通の中学生は、
- 給食のプリンで揉める
- 数学の小テストで絶望する
- 部活帰りにコンビニ寄る
くらいである。
しかしテニプリ世界の中学生は、
「世界を背負う宿命の戦士」みたいな顔をしている。
スラムダンクの高校生はまだ現実感がある
一方、『SLAM DUNK』はリアル寄りだ。
もちろん桜木の身体能力や流川の才能は超人的だが、
ギリギリ「現実にいそうな天才」で収まっている。
沢北栄治も牧紳一も、
「日本トップクラスの高校生」という説得力がある。
だから読者は感情移入できる。
「こんな高校生いるわけねえだろ!」ではなく、
「こういう怪物、全国には本当にいそう」
というリアリティラインなのだ。
アイシールド21も高校生設定だから成立している
『アイシールド21』もかなり漫画的誇張はある。
- 0.1秒の神速
- 吹き飛ぶラインマン
- ありえない反応速度
- 必殺技みたいなプレイ
しかしアメフトは元々フィジカルスポーツなので、
「全国トップ高校生ならまあ…」で押し切れる。
高校生という設定が、
漫画的表現の“緩衝材”になっているのである。
ドカベンは「甲子園神話」の世界
『ドカベン』も現実離れした部分はある。
だが日本人には「甲子園ブランド」がある。
高校野球は半ば神話空間なので、
超高校級のスターがいても不思議と納得できる。
「甲子園にはこういう化け物いるよな」
という空気で読めるのだ。
しかしテニプリだけは違う
問題は『テニプリ』である。
あの作品だけ、
- 精神年齢が30代
- フィジカルがプロ選手
- 能力が超能力者
- 演出がドラゴンボール
なのに「中学生」という設定なのだ。
例えば手塚国光。
冷静沈着、圧倒的カリスマ、チーム統率力、プロ級メンタル。
どう見ても会社で部長やってるタイプである。
これが14〜15歳なのは流石に無理がある。
でも、だからこそ面白い
ただ逆に言えば、
『テニプリ』は中学生だからこそ伝説になった。
もし高校生設定だったら、
ここまでのインパクトはなかったかもしれない。
読者は途中から、
「いや中学生でそれは無理だろ!」
というツッコミ込みで楽しんでいる。
つまり『テニプリ』は、
スポーツ漫画でありながら“様式美ギャグ”としても完成しているのである。
ジャンプスポーツ漫画の進化
ジャンプスポーツ漫画は時代とともに、
徐々に能力バトル化していった。
昭和
努力・根性・泥臭さ
90年代
リアルと漫画的演出の融合
2000年代
能力バトル化・超人化
『テニプリ』は、その極北だったのである。
結論
『SLAM DUNK』や『ドカベン』の高校生は、
「高校生として凄い」。
しかし『テニスの王子様』の中学生は、
「人類としておかしい」。
そして読者も作者も、
途中からそれを理解した上で楽しんでいる。
だからこそ『テニプリ』は唯一無二なのだ。
たぶん今さら
「実は全員30代でした」
と言われてもそこまで驚かない。