【徹底検証】「日出づる処の天子」←普通に小野妹子が斬り捨てられてもおかしくない外交文書だった説www
日本史の超有名フレーズ――
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」。
学校では「日本と隋が対等な立場で外交しようとした」という説明で登場することが多い。
しかし冷静に考えてみると、
「東の国の天子から、西の国の天子へ手紙を送ります」
これ、当時の隋皇帝・煬帝からすると「誰が誰に口を利いているんだ?」案件ではないのか。
しかも、この国書を持ってきた外交官は小野妹子。
果たして妹子は、本当に「斬り捨てられてもおかしくない」レベルの外交危機に突入していたのか。
■結論:かなりヤバい文面だったのはガチ。ただし「妹子を斬れ」とまでは記録されていない
結論から言えば、
「妹子斬り捨てレベル」という表現はネタとしてはかなり分かるが、史料上、処刑寸前だったとまでは言えない。
『隋書』倭国伝には、倭国の国書を見た煬帝について、
「帝覧之不悦」――つまり「帝、これを覧じて悦ばず」と明記されている。
さらに鴻臚卿に対して、
「蛮夷の書、無礼なる者は、復た以て聞する勿れ」
という趣旨を述べたとされる。0
つまり、
「煬帝が普通に不快感を示した」
ところまでは史料に書いてある。
ただし、
「小野妹子を捕らえて斬首せよ」
という記録はない。
■そもそも何がヤバかったのか
問題の文言はこれ。
日出處天子致書日没處天子無恙云云
現代風に超訳すると、
「東のほうにいる天子から、西のほうにいる天子へ。お元気ですか」
という構造になる。
ここで最大のポイントは、
倭王側も「天子」を名乗っていること。
中国皇帝を唯一の「天子」と見る政治思想からすれば、
異民族の王が自らを天子と称すること自体が、かなり強烈な表現になり得る。
国立国会図書館に収録された研究でも、従来の「対等外交」という説明だけではなく、
中国側の天下観から見れば、この国書はかなり非常識なものだったという議論が紹介されている。1
■さらにヤバいのが「日没する処の天子」
日本史の授業では、
日出づる処=日本
日没する処=中国
という説明が非常に分かりやすい。
しかし、これを煬帝側の視点から見ると、
「お前が東の天子で、俺が西の天子ってこと?」
という問題になる。
ただし、ここも注意が必要。
「日没する処=中国だから、煬帝が『俺を沈む国の皇帝扱いしたのか!』と激怒した」
と単純化するのは危険である。
国立国会図書館の研究紹介でも、
「日出づる処=日本」「日没する処=中国」という対応を自明視すること自体に問題がある
とする研究が紹介されている。2
つまり、
「日没って言われたからブチギレた」だけでは説明不足なのである。
■実は妹子がヤバかったというより「国家間の文書」がヤバかった
ここが「妹子斬り捨て説」の最大のポイント。
小野妹子は、この国書を自分で勝手に作って煬帝へ提出した人物とは限らない。
『日本書紀』では、607年に小野臣妹子が遣隋使として派遣されたことが記録されている。3
つまり外交官としての妹子は、
- 国家が用意した国書を持つ
- 巨大帝国・隋へ行く
- 皇帝に提出する
- 皇帝から「悦ばず」と反応される
という、
「俺が書いたわけじゃないけど俺が持ってきました」
という非常に胃が痛いポジションだった可能性がある。
■しかも煬帝は普通に「無礼」と認識している
『隋書』の記述はかなりストレートだ。
帝覧之不悦
つまり「皇帝はそれを見て喜ばなかった」。
そして、
蛮夷書有無禮者、勿復以聞
と続く。『隋書』倭国伝の原文でも確認できる。4
これは少なくとも、
「あ、この国書、めちゃくちゃ外交的にヤバかったんだな」
と判断する材料にはなる。
■では本当に「妹子斬首」だったのか?
ここはNO。
なぜなら、その後の展開が普通に生存ルートだからである。
『隋書』では翌年、隋が文林郎・裴清を倭国へ派遣したと記されている。5
また『日本書紀』には、608年に小野妹子が再び大使として派遣された記事がある。6
つまり、
「妹子、外交失敗!斬首!完」
にはなっていない。
むしろ外交関係はその後も継続している。
■むしろ興味深いのは、その後の国書
『日本書紀』に記された608年の国書では、
東天皇敬白西皇帝
という表現が登場する。
つまり、
「日出づる処の天子」から「東の天皇」へという別の表現になっている。
外交上の表現が変化していることは非常に興味深い。
外務省の歴史資料でも、600年の遣使時の「天弟・日兄」という主張と、607年の「日出処天子・日没処天子」との違いが論じられており、後者は倭国側が以前より表現を修正した可能性が指摘されている。7
■「妹子、命がけの外交官だった説」はどこまで正しい?
| 説 | 判定 | 理由 |
|---|---|---|
| 国書は隋側から見て無礼だった | ○ | 煬帝が「悦ばず」「無礼」と反応したと『隋書』にある |
| 倭王が「天子」を名乗ったのは問題だった | ○ | 中国皇帝中心の政治秩序との緊張関係がある |
| 「日没する処」が煬帝激怒の唯一の原因 | △ | 単純な東西・日没ネタだけでは説明できない |
| 小野妹子が処刑されそうになった | △ | 外交的危機感は理解できるが、処刑寸前を示す史料はない |
| 小野妹子が実際に斬り捨てられた | × | その後も外交使節として活動している |
| 国書が原因で隋との外交が完全破綻した | × | 翌年には隋使・裴世清が倭国へ来ている |
■オタクくん的結論:「妹子斬り捨て」は盛りすぎ、しかし外交文書としては相当攻めている
結局のところ、
「日出づる処の天子」という一文だけで小野妹子が即斬首されてもおかしくなかった
と断定するのは史料的には無理がある。
しかし、
「巨大帝国の皇帝に対して、こちらの王も『天子』ですと書いた外交文書を持っていく」
という行為が、
かなり攻めた外交だったことは間違いない。
しかも『隋書』自身が、
煬帝「悦ばず」→「無礼な蛮夷の書はもう持ってくるな」
と記録している。
したがって最も正確な表現は、
「妹子斬り捨てレベル」ではなく、「妹子、外交官として胃に穴が開いてもおかしくない案件」
くらいだろう。
【最終判定】日出づる処の天子=外交的にかなり攻めた表現説:◎
煬帝が不快に思った説:◎
小野妹子が斬首寸前だった説:△
妹子が実際に斬られた説:×
なお、最大の皮肉は、
「こんなヤバい国書を持っていったのに、妹子は翌年も普通に外交ミッションに出ている」
ことである。
妹子、メンタルが強すぎる。
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