もちろんです。今回は「オタク=極端思考」という雑な決めつけを、ネット文化・認知バイアス・趣味への没入の3方向から検証する記事にします。
【徹底検証】オタク、すぐ極端思考する説wwww――「神」「クソ」「覇権」「オワコン」の二値化が止まらない件
「いや、オタクってすぐ極端なこと言わない?」
アニメ、ゲーム、音楽、漫画、ガジェット、ネットサービス……。
何かについて語り始めた瞬間、
「神」
「ゴミ」
「覇権」
「オワコン」
「歴代最高」
「存在価値なし」
という、妙に振り切れた評価が飛び交う。
そこで浮上するのが――
「オタク、すぐ極端思考する説www」
である。
果たしてこれは本当なのか。
結論から言えば、「オタクという人間が本質的に極端思考」というところまでは言えないが、オタク文化には極端な表現が発生・増幅されやすい構造がかなり存在する。
つまり、オタクの脳が突然0か100かになるというより、
「好きなものについて語る環境そのものが、0か100の言葉を要求しがち」
という説である。
■ 第一の証拠:「好き」だけでは語り足りない
一般的な感想なら、
「このゲーム、結構面白かった」
で終了できる。
ところがオタクの場合、作品について長期間考えたり、他作品と比較したり、細部を分析したりする。
すると単純な「好き」では情報量が足りなくなる。
そこで登場するのが、
- 神
- 最高
- 傑作
- 駄作
- 凡作
- 虚無
- 覇権
- オワコン
といった強い評価語である。
つまり極端表現は、必ずしも本当に「100点」「0点」と考えているから出てくるわけではない。
「俺はこれについてめちゃくちゃ語りたい」
という熱量を短い言葉に圧縮している可能性がある。
■ 第二の証拠:「神ゲー」の意味は本当に神なのか?
例えばオタクが、
「このゲーム神ゲー」
と言ったとする。
これを文字通り解釈すると、
「人類史上存在する全ゲームを比較した結果、絶対的に最高である」
という恐ろしい主張になる。
しかし実際には、そこまで厳密な意味ではないことが多い。
むしろ、
「俺の現在の感情として、めちゃくちゃ刺さっている」
くらいの意味で使用されることもある。
つまり、
言葉は極端、意味は相対的。
という現象が起きている。
■ 第三の証拠:「クソゲー」も同じ
逆方向も同様である。
「このゲーム、クソゲーだろwww」
と言っている人が、本当にゲーム内の全要素を否定しているとは限らない。
例えば、
- ロードが長い
- UIが使いにくい
- バランスが悪い
- ストーリー展開が気に入らない
など、一部分への強い不満を「クソゲー」という巨大なラベルに圧縮している場合がある。
これはある意味、レビューというより感情の圧縮ファイルである。
■ 第四の証拠:ネットでは「普通」が目立たない
ここがかなり重要である。
ネット上では、
「まあ普通に面白かったです」
よりも、
「歴代最高wwww」
「令和最高傑作」
「シリーズ終了のお知らせ」
のほうが圧倒的に目立つ。
つまり、極端な意見は発信されやすく、拡散されやすい。
その結果、実際のファン全体よりも、ネット上では「極端なオタク」が大量に存在するように見える。
これは、ネット上の観測対象そのものに偏りが生じる問題でもある。
■ 第五の証拠:「推し」が存在すると評価が二値化しやすい
さらに厄介なのが推し文化である。
「このキャラクターが好き」
だけなら問題ない。
しかし議論が、
「AとB、どっちが上?」
になった瞬間、
A派 vs B派
という構造になりやすい。
すると本来なら、
「Aにはこの長所、Bにはこの長所がある」
で済むところが、
「Aが最強」
「Bは雑魚」
という戦争になる。
オタク、急に国際政治を始める。
■ 第六の証拠:「作品」と「自分」が接近する
オタク趣味では、作品が単なる商品ではなく、アイデンティティや思い出と結びつくことがある。
例えば、
「子供の頃から好きだった」
「人生で初めてハマった作品」
「この作品のおかげで友達ができた」
などである。
こうなると作品への評価が、単なる品質評価ではなくなる。
「この作品を否定された」
という感覚が、
「自分の大切な経験を否定された」
ように感じられる場合がある。
ここまで来ると、穏当なレビューが急に難しくなる。
■ 第七の証拠:比較対象が増えすぎる
オタクは、とにかく比較する。
「前作と比べてどうか」
「旧作と比べてどうか」
「同ジャンルと比べてどうか」
「シリーズ最高か」
「歴代最高か」
「他社製品より優れているか」
比較そのものは悪くない。
しかし比較対象が増えるほど、評価軸も増える。
そして最終的に、
「結局これって神なの?ゴミなの?」
という雑な二択に戻ってくる。
オタク、精密分析を始めた結果、最後だけ急に雑。
■ では本当に「極端思考」なのか?
ここで一度冷静になる必要がある。
「極端な言葉を使うこと」と「極端にしか考えられないこと」は別物だからである。
例えば、
「この作品、神www」
と言った人が、その後に、
「ただしシナリオ後半は微妙。戦闘バランスも前作より悪い。でも音楽とキャラクターは最高」
と分析することは普通にある。
これは思考自体はかなり多面的である。
つまり、
表現=極端
でも、
思考=極端
とは限らない。
■ むしろ「オタクは解像度が高いのに口調だけ極端」説
ここからが本説の核心である。
オタク文化では、
分析の解像度は高いのに、最終評価だけ妙に極端
という現象が起こりやすい。
例えば、
| 実際の思考 | 最終的な発言 |
|---|---|
| 音楽は最高、ゲーム性は微妙、ストーリーは好みが分かれる | 神ゲーwww |
| キャラ造形は良いが脚本に問題がある | 惜しい作品 |
| 前作より改善した部分と改悪した部分がある | 前作超えwww |
というように、頭の中では多変数評価をしているのに、出力時には一つのラベルへ圧縮する。
これは「極端思考」というより、極端表現と考えたほうが説明しやすい。
■ さらにSNSでは「中間」が死ぬ
SNSでは文章を長く書くほど読まれにくい。
そこで、
「良いところも悪いところもあるが、総合的には興味深い作品でした」
よりも、
「これ、神www」
のほうが圧倒的に強い。
結果として、
穏当な評価 → 埋もれる
極端な評価 → 反応される
という選択圧が生まれる。
つまりネット環境そのものが、オタクの発言を極端化する方向に最適化されている可能性がある。
■ オタクの極端思考、実は「愛情の裏返し」説
もう一つ見逃せないのがこれ。
どうでもいい作品に対して、わざわざ数時間かけて考察する人は少ない。
ところが好きな作品には、
- 設定を調べる
- 過去作と比較する
- 元ネタを探す
- 制作背景を調べる
- 細かい演出を考察する
- 未来の展開まで予想する
など、異常なほどのリソースを投入する。
その結果、
「好きだからこそ評価がデカくなる」
という現象が起こる。
「普通に好き」ではなく、
「俺の人生に影響を与えたレベルで好き」
になると、当然ながら言葉もデカくなる。
■ 結論:オタクは「極端に考える」のではなく「極端に語る」傾向がある
今回の検証を整理すると、こうなる。
- オタク文化では強い評価語が頻繁に使われる
- SNSでは極端な発言ほど目立ちやすい
- 推し文化は「好き/嫌い」の対立を作りやすい
- 作品への思い入れが強いほど評価が感情的になりやすい
- 比較対象が増えるほど「最高/最低」というラベルが登場しやすい
- ただし、極端な表現=極端な思考とは限らない
したがって、
「オタクはすぐ極端思考する説」
は、厳密には「オタクは極端な言葉で複雑な評価を圧縮して表現しがち説」へ修正するのが妥当だろう。
つまり――
頭の中「Aは8点、Bは6点、Cは9点。ただしジャンルによって評価軸が違って……」
口「神wwwww」
これである。
オタクくん、思考まで0か100ではない。
出力インターフェースだけ0か100。
むしろ問題は、オタクが極端思考なのではなく、ネットという巨大な観客席に向かって「神」「ゴミ」と叫ぶほうがコミュニケーション効率が良すぎることなのかもしれない。
結論:
「オタク、極端思考」というより、
「オタク、脳内では論文を書いているのに口から出るのは『神www』」
説、かなり有力。
「極端思考」そのものより、**“複雑な脳内評価→「神/ゴミ」への圧縮”**を主軸にすると、かなりオタク文化っぽい記事になります。