もちろんです。実際、「アメリカ独立革命=単純なプロテスタントvsカトリック戦争」ではないものの、宗教対立、とりわけプロテスタント世界とカトリック世界の緊張がかなり絡んでいるので、この説はかなり面白い切り口です。
【徹底検証】アメリカ独立戦争、実は「プロテスタント vs カトリック」だった説www
~イギリス国教会・ピューリタン・フランス・ケベック法を並べると、宗教戦争っぽさが急上昇する件~
■ 結論:完全な宗教戦争ではないが、「宗教対立の延長線上」はかなりガチ
「アメリカ独立戦争って要するにプロテスタントvsカトリックだったんじゃね?」という説。
まず結論から言えば、これはそのまま歴史的事実として採用すると単純化しすぎである。
独立革命の主要争点には、課税、代表制、帝国統治、植民地自治、商業政策などがあり、
「カトリックを倒すために独立した」という戦争ではない。
しかし一方で、宗教は無関係どころか革命を正当化する思想・政治文化の重要な構成要素だった。
米国議会図書館も、宗教がイギリスへの抵抗に「道徳的・宗教的な正当化」を与えたと説明している。0
つまり、
「プロテスタントvsカトリックだけではない。しかし宗教対立という歴史的背景を抜きに独立革命を語るのも無理」
というのが妥当なところだろう。
■ まず当時のアメリカ植民地、宗教的にかなりカオス
18世紀の英領北米植民地は、現代の「アメリカ人」という一枚岩の集団ではない。
- ピューリタン・会衆派
- 長老派
- バプテスト
- クエーカー
- 英国国教会(アングリカン)
- カトリック
- その他のキリスト教諸派
が入り乱れていた。
特にニューイングランドではピューリタン系の宗教文化が強く、
しかも植民地社会そのものがヨーロッパの宗教対立の延長線上にあった。
Library of Congressも、初期ニューイングランドのピューリタンが宗教的統一を重視し、
異端・異説に対して強い不寛容を示したことを紹介している。1
つまりオタクくん的に言えば、
「新大陸だから宗教対立リセット!」
↓
全然リセットされてませんでしたwww
■ 独立革命側にプロテスタント諸派が大量に参加
独立革命では、長老派や会衆派などのプロテスタント諸派の聖職者が
独立運動を積極的に支援した。
その役割は単なる精神論ではなく、説教・パンフレット・政治活動などを通じて
「イギリスへの抵抗は神の前でも正当だ」という認識を広めることだった。
独立革命を支持した聖職者には、従軍牧師、政治活動家、州議会議員、憲法制定会議参加者、
さらには軍を率いた人物までいたとLibrary of Congressは説明している。2
しかも当時のトーリー側からは、
「この革命を引き起こしているのは長老派や会衆派などの宗教的反体制派だ」
という批判まで出ていた。
つまり「宗教が革命に関係していた」という話は、
後世のオタクが勝手に作った陰謀論というわけでもない。
当時の反革命側自身が宗教的対立として認識していたのである。3
■ そして最大の「カトリック要素」ことケベック法www
ここで登場するのが1774年のケベック法である。
イギリスは七年戦争でフランス領カナダを獲得した後、
フランス系カトリック住民を統治する必要に迫られた。
そこでケベック法によって、フランス系住民のカトリック信仰やフランス民法などを
一定程度認める政策を取った。4
ところが植民地の一部では、
「イギリスがカトリックを優遇しているぞ!!」
という強烈な反発が発生。
そしてケベック法は、植民地側が「耐え難い諸法」
(Intolerable Acts)の一つとして問題視した要素の一つになった。
ここで、
イギリス王権
↓
カトリックの権利を認めるケベック政策
↓
一部のプロテスタント植民地人「なんでカトリック優遇なんだよ!」
↓
反英感情
という構図が成立する。
■ さらに1776年、アメリカ軍はカナダ侵攻を試みる
ここが「プロテスタントvsカトリック説」の一番面白いところ。
アメリカ側は1775~1776年にカナダ方面へ侵攻し、
ケベックのフランス系住民がイギリスに反旗を翻すことも期待していた。
しかし実際には、その期待は大きく外れた。
ケベック法によってカトリック住民の宗教的・財産的権利が一定程度保障されていたこともあり、
フランス系カナダ人はアメリカ側の期待通りには蜂起しなかった。
History.comも、当時のフランス系カナダ人がカトリックであり、
ケベック法によってその宗教的権利が認められたことを背景として、
アメリカ軍を「プロテスタントの侵入」と見る側面があったと説明している。5
これはかなり重要。
「反英ならフランス系カナダ人も当然アメリカ側につくだろwww」
↓
つきませんでした。
宗教・制度・政治的利害が複雑に絡んでいたからである。
■ しかし「イギリス=カトリック」ではないぞオタクくん
ここで最大の注意点。
当時のイギリス本国の支配層は基本的にプロテスタント側である。
イギリス国教会そのものもプロテスタント系であり、
「アメリカのプロテスタントがカトリック国家イギリスから独立した」
という構図ではない。
むしろ、
プロテスタント世界の内部対立
がかなり重要だった。
たとえば英国国教会系の聖職者には王への忠誠を維持した者が多く、
一方で長老派・会衆派などの聖職者には革命を支持した者がいた。
実際、革命によって英国国教会自体も大きく分裂した。6
■ つまり本当の構図は「プロテスタントvsカトリック」より複雑
| 勢力 | 宗教的背景 | 革命との関係 |
|---|---|---|
| 英国王権 | プロテスタント・英国国教会 | 植民地の統治者 |
| 長老派・会衆派など | プロテスタント | 革命支持者が多い |
| 英国国教会系 | プロテスタント | 王党派も多数 |
| フランス系カナダ人 | カトリック | アメリカ側の期待ほど反英化せず |
| フランス王国 | カトリック | イギリス打倒のためアメリカ側を支援 |
こうして見ると、
「宗派」という軸だけでは説明できないことが分かる。
特に決定的なのがフランス。
カトリックのフランス王国が、プロテスタントを多数含むアメリカ革命勢力を
イギリス打倒のため支援する。
つまり、
カトリック国家フランス「イギリス倒すぞ」
プロテスタント系アメリカ「おう!」
プロテスタント国家イギリス「なんでやねん」
という、宗教だけで分類すると一瞬で破綻する外交関係なのである。
■ むしろ革命が生んだのは「宗教自由」方向への変化
さらに面白いのが戦後。
革命期には宗教的自由を拡大する方向の動きも進んだ。
たとえばヴァージニアでは1786年、ジェファーソンの宗教自由法が成立し、
宗教上の信念を理由に国家が礼拝や宗教的支援を強制することを否定する方向が明確になった。7
さらに合衆国憲法では連邦公職について宗教テストを要求することが禁止された。8
つまり、
「宗教対立が革命を燃やす」
↓
「もう宗派で国家を分けるのやめよう」
という方向にも進んだのである。
■ 判定:『プロテスタントvsカトリック』は半分正解、半分ミスリード
今回の説を整理すると、
| 命題 | 検証 |
|---|---|
| 宗教は独立革命に重要だった | ○ |
| プロテスタント諸派が革命を支持した | ○ |
| 反カトリック感情が一部に存在した | ○ |
| ケベック法が宗教問題を刺激した | ○ |
| 独立戦争そのものがプロテスタントvsカトリックだった | △ |
| 宗教だけで革命を説明できる | × |
したがって最も正確な言い方は、
「アメリカ独立革命は、宗教改革以来のプロテスタント/カトリック対立を含む
大西洋世界の宗教政治文化を背景に持っていたが、
戦争そのものを単純なプロテスタントvsカトリック戦争とするのは不正確」
となる。
史料上も、当時のトーリー側が革命を長老派・会衆派などの宗教的対立と結びつけて理解していたことが確認できるので、「宗教要素を後世の人間が無理やり足しただけ」という説ではありません。