pontaパス

【徹底検証】感情論抜きなら「合理的人間=クズ・狡賢い」説wwww

もちろんです。今回は「合理的人間=クズ」という刺激的な命題を、経済学の合理的選択モデル・ゲーム理論・情報の非対称性・プリンシパル=エージェント問題・行動経済学まで広げて、「合理性」と「道徳性」はそもそも別軸ではないか、という方向から徹底検証します。

【徹底検証】感情論抜きなら「合理的人間=クズ・狡賢い」説wwww 経済学は本当に人間をクズとして前提にしているのか?

「自分の利益を最大化するためなら、他人を出し抜くことも厭わない」――。
これを道徳的に評価すれば、まあまあクズである。
しかし経済学の世界では、それが「クズだから」ではなく「合理的な選択主体だから」としてモデル化されることがある。
果たして「合理的人間=狡賢い人間」という理解は正しいのか。徹底検証する。

■ 結論:半分正しい、半分誤解である

いきなり結論を言えば、
「合理的人間=クズ」という命題は、そのままでは成立しない。

ただし、
「経済学の一部のモデルでは、人間が自分の目的を達成するために、他者への配慮を必ずしも優先しない主体として扱われる」
という意味なら、かなり核心を突いている。

重要なのは、
合理性=善悪ではない
という点だ。

「合理的」という言葉は、
「倫理的」「優しい」「社会的に望ましい」という意味ではない。

極端に言えば、

「他人を助けたい」という目的を持つ人が、その目的を最も効率よく達成する。

これも合理的である。

一方で、

「自分だけ儲かればいい」という目的を持つ人が、自分の利益を最大化する。

これも合理的である。

つまり合理性とは、
「何を望むか」ではなく「望んでいるものをどう達成するか」
に関する概念なのである。

■ そもそも「合理的人間」とは何なのか?

経済学で登場する合理的経済人、いわゆる
homo economicus(ホモ・エコノミクス)
は、現実の人間を丸ごと再現した存在ではない。

基本的には、

  • 自分の選好を持っている
  • 利用可能な情報をもとに意思決定する
  • 制約条件のもとで目的を達成しようとする
  • 選択肢の中から自分の目的にとって望ましいものを選ぶ

といった仮定を置いたモデルである。

ここで重要なのが、
「効用最大化=金銭最大化」ではない
ということだ。

効用関数に、

  • お金
  • 余暇
  • 名誉
  • 家族の幸福
  • 他人への利他性
  • 公平感
  • 罪悪感の回避

などが含まれていても、モデル上は「合理的」に行動できる。

したがって、
「合理的人間=金の亡者」ではない。

■ ではなぜ「合理的人間=クズ」に見えるのか?

ここが今回の説の面白いところである。

人間社会には、
「自分の利益を追求すること」と「他人に配慮すること」が衝突する場面
が大量に存在する。

例えば会社員が、

「この仕事は自分がやらなくても誰かがやるからサボろう」

と考えたとする。

自分だけを見るなら合理的かもしれない。
しかし全員が同じ行動を取れば、組織全体が崩壊する。

ここに個人合理性と集団合理性のズレが発生する。

■ ゲーム理論「囚人のジレンマ」がまさにこれ

代表例が囚人のジレンマである。

相手が協力 相手が裏切る
自分が協力 双方そこそこ得 自分だけ大損
自分が裏切る 自分だけ大儲け 双方そこそこ損

ここで相手の行動が読めない場合、
「相手が協力するなら自分は裏切った方が得」
「相手が裏切るなら自分も裏切った方が得」
という構造が生まれる。

結果として、
全員が協力した方が全体として望ましいのに、個人合理性から裏切りに向かう
ことがある。

つまり、

「みんなで仲良くすれば得なのに、各自が合理的に動いた結果、全員損する」

という恐ろしい現象が成立する。

オタクくん「合理的に動いたら社会がギスギスするんですが???」

経済学「はい、だからゲーム理論で分析します」

■ 「狡賢い」は経済学ではどう扱われるのか

さらに重要なのが、
情報の非対称性である。

売り手と買い手が同じ情報を持っているとは限らない。

労働者と経営者も同じ情報を持っているとは限らない。

保険会社と契約者も同じ情報を持っているとは限らない。

すると、
「自分だけが知っている情報を利用して利益を得る」
という行動が発生する。

これ自体は必ずしも違法でも悪徳でもない。
市場では情報収集そのものが競争力になるからだ。

しかし、
情報格差を利用して相手に不利益を押し付ける
ような行動になると、一般的な道徳感覚では「狡賢い」「汚い」と評価されやすい。

■ モラルハザード「バレなければやる」が合理化される世界

経済学にはモラルハザードという重要な問題がある。

典型的には、
「行動を完全には監視されていない」
という状況で、契約後の行動が変化する問題だ。

例えば、

「失敗しても自分がほとんど損をしないなら、リスクを取ってもいい」

というインセンティブが発生する。

これは、
「人間は道徳的に正しいから適切に行動する」
という前提だけでは説明できない。

そこで経済学では、
「インセンティブをどう設計するか」
を考える。

■ プリンシパル=エージェント問題は「人間を信用しない」学問なのか

さらに強烈なのが、
プリンシパル=エージェント問題
である。

経営者が従業員に仕事を任せる。
株主が経営者に会社経営を任せる。
国民が政治家に政策決定を委任する。

しかし、
代理人の目的と本人の目的が完全に一致しているとは限らない。

そこで、

  • 監視する
  • 契約する
  • 成果報酬を設定する
  • 情報を開示させる
  • 罰則を設ける
  • 評判によって規律を働かせる

といった制度が必要になる。

つまり経済学はしばしば、
「善人だからちゃんと働く」という前提を置かずに制度を設計する。

オタクくん的には、

「人間を信用してない学問すぎるwww」

となるわけである。

■ しかし「経済学=人間はクズ」という理解は決定的に違う

ここで重要な反証が登場する。

現代経済学では、
利他性・公平性・互恵性・社会規範など
も人間行動を説明する重要な要素として研究されている。

行動経済学や実験経済学では、
「自分が得をするなら何でもする」
という単純なモデルだけでは説明できない行動が数多く観察されてきた。

例えば人間は、

  • 不公平な分配を嫌う
  • 他人の協力に応じて協力する
  • 他人を罰するために自分の利益を犠牲にすることがある
  • 評判を気にする
  • 社会規範を守る

など、単純な自己利益最大化だけでは説明しにくい行動を示す。

したがって、
「経済学は人間をクズだと思っている」
という理解は行き過ぎである。

■ むしろ経済学の凄いところは「善人でも制度次第でクズっぽく動く」と考える点

ここが今回の説で最も重要なポイントだ。

経済学的な発想では、

「この人は善人だから大丈夫」

だけで制度を設計するのではなく、

「もしこの人が自分の利益を追求したら、それでも制度が破綻しないか?」

と考えることができる。

これは人間不信というより、インセンティブ設計の発想である。

善人に依存する制度ではなく、
多少利己的な人間が存在しても機能する制度
を作る。

これが経済学・ゲーム理論・制度設計の非常に重要な考え方になる。

■ 「合理的=狡賢い」ではなく「狡賢さを合理的に利用できる場合がある」が正確

ここまでを整理すると、

概念 意味 道徳性
合理性 目的と制約のもとで整合的に選択する 善悪とは別問題
利己性 自分の利益を重視する 善悪は文脈依存
狡猾さ 情報・制度・相手の行動を利用する 一般には否定的評価を受けやすい
非合理性 目的に対して整合的でない選択 必ずしも善ではない
利他性 他者の利益も自分の選好に含める 合理的にもなり得る

つまり、

合理性 ≠ 利己性 ≠ 狡猾さ ≠ 悪徳

なのである。

■ それでも「合理的人間、クズっぽくね?」という直感が完全に間違いではない理由

とはいえ、オタクくんの直感にもかなり鋭い部分がある。

なぜなら、
道徳的に評価される「善い行動」と、個人にとっての合理的な行動が一致する保証はない
からだ。

例えば、

「誰も見ていないならルールを破った方が得」

という状況では、
道徳的には「やるな」であっても、
短期的な自己利益だけを最大化するなら「やる」が選択肢になり得る。

だから社会には、

  • 法律
  • 契約
  • 監視
  • 罰則
  • 評判
  • 社会規範
  • 信頼

が存在する。

「人間が常に善行を選択する」という前提だけでは社会制度を設計できない。

■ さらに一歩進めると「合理性そのものが目的関数に依存する」

ここまで来ると哲学的な問題になる。

「合理的な選択」と言っても、
何を最大化するのか
が決まっていなければ合理性は定義できない。

金を最大化する人。
自由時間を最大化する人。
家族の幸福を最大化する人。
名誉を最大化する人。
他人への貢献を最大化する人。

全員が異なる目的関数を持っているなら、
「合理的な人生」の答えも当然変わる。

したがって、

「合理的に生きる=金を稼ぐために他人を蹴落とす」

というのは、
合理性の定義を「自己利益最大化」に限定した場合の一例
に過ぎない。

■ 最終判定

今回の説、

「感情論抜きなら合理的人間=クズ、狡賢い」

を判定するなら、
「経済学の合理的人間モデルを、道徳的人間像と混同しなければかなり面白い命題」
というところだろう。

経済学は、
「人間はクズである」
と主張しているわけではない。

むしろ、

「人間が自分の目的を追求する可能性があるとしても、社会制度はどうすれば機能するのか?」

を考えるため、
利己的・戦略的に行動する主体をモデルに投入する
のである。

そしてゲーム理論・情報の非対称性・モラルハザード・プリンシパル=エージェント問題などを見ると、
実際に
「個人にとって合理的な行動」と「社会全体にとって望ましい結果」がズレる
場面は存在する。


結論:
「合理的人間=クズ」は誤り。
しかし「合理性は善人であることを一切保証しない」は正しい。
さらに経済学は、人間の善性だけを信じるのではなく、利己的・戦略的に動く可能性まで含めて制度を設計する。
その意味では「経済学、最初から人間のクズ化リスクを織り込んでて草www」というオタクくんの感覚は、かなり本質を突いている。

オタクくん的まとめ:
「合理的だからクズ」ではない。
「クズでも合理的に行動できる」のである。
そして経済学は、その可能性を無視せずに
“人間が善人でなくても回る仕組み”
を考える学問でもある――。

コメントする

Pontaパス