養老孟司が指摘する「露善的」表現と、京都人の本音を婉曲的に伝える「露悪的」表現との関係は、直接的なシノニム(同義語)ではなく、むしろ対照的な性質を持つものとして捉えられます。ただし、両者は日本語表現の中で建前と本音を使い分ける文化に関連しており、特に京都人のコミュニケーションスタイルにおいて興味深い位置づけを持っています。
1. 露善的表現とは
「露善的」とは、善意や道徳を過剰に強調する表現を指します。これは、善という価値観に無条件で依存し、結果としてその純粋さが過剰化してしまう傾向があります。このような表現は、一見ポジティブであるように見えますが、裏には他者への圧力や自己防衛的な側面が潜んでいる場合があります[6]。
2. 露悪的表現とは
一方、「露悪的」表現は、自分や他者の欠点や醜い部分を意図的にさらけ出すことで、本音や真実を強調するスタイルです。これは偽善への反発や、建前を嫌う態度から生まれることが多く、夏目漱石の『三四郎』でも扱われた概念です[3]。
3. 京都人の本音と建前
京都人のコミュニケーションスタイルでは、本音と建前の使い分けが特徴とされます。例えば、「ぶぶ漬けでもどうどす?」という言葉は、一見親切そうに聞こえますが、実際には「そろそろ帰ってほしい」という本音を婉曲的に伝えるものです[2]。このような表現は直接的な露悪ではなく、むしろ間接的で洗練された方法で本音を伝える手段と言えます。
4. 関連性と違い
特徴 | 露善的表現 | 露悪的表現 | 京都人の婉曲的本音表現 |
---|---|---|---|
目的 | 善意や道徳の強調 | 本音や欠点のさらけ出し | 本音を間接的かつ洗練して伝える |
ニュアンス | 過剰な純粋さが圧力になる場合も | 偽善への反発や真実の強調 | 洗練された間接性 |
例 | 応援歌やモラル訴求型メッセージ | 欠点や醜さをあえて見せる態度 | 「ぶぶ漬けでもどうどす?」 |
結論
養老孟司が指摘する「露善的」表現は、道徳や善意を過剰に押し出すことで他者に圧力を与える可能性があり、「露悪的」表現とは対照的な性質を持ちます。一方で、京都人の本音を婉曲的に伝える表現はこれらとは異なり、高度な間接性と洗練さを備えた独自のコミュニケーションスタイルです。このため、「露善」と「露悪」は京都人の婉曲表現と完全には一致せず、それぞれ異なる文脈で理解されるべきです。
引用:
[1] 日本人の忘れもの 知恵会議 – 京都市 https://pr.kyoto-np.jp/campaign/nwc_wise/forum/forum_1110.html
[2] 「ぶぶ漬けでもどうどす?」~養老孟司が語る 京都人との付き合い方 https://shuchi.php.co.jp/article/3911?p=1
[3] 露悪とは (ロアクとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9C%B2%E6%82%AA
[4] [PDF] 日 本 生 命 統合報告書 – 2024 https://www.nissay.co.jp/kaisha/annai/gyoseki/pdf/2024/disc2024.pdf
[5] [PDF] 近世・近代における 郷土の先覚者 – 京丹後市 https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/3/seisaku-hokokusho.pdf
[6] 銀杏BOYZ – ボーイズ・オン・ザ・ラン – ele-king https://www.ele-king.net/review/joint/000758/index-3.php
[7] 週刊東洋経済 2024/6/29号 – – 雑誌・無料試し読みなら – ブックライブ https://booklive.jp/product/index/title_id/10000019/vol_no/736
[8] [PDF] 「人文学こそ、 いまの時代に求められる学問。」 – 京都精華大学 https://www.kyoto-seika.ac.jp/about/pr/gjh1lq00000029m0-att/kino_58.pdf
[9] PRESIDENT 2021.12.17 – – 雑誌・無料試し読みなら – ブックライブ https://booklive.jp/product/index/title_id/20000267/vol_no/321
[10] [PDF] 文学とは「問い」である を読む – 大修館書店 https://www.taishukan.co.jp/files_upload/upload/owned_media_magazine/kokugo118.pdf